『人間であるとは、劣等感ををもつことである』
だそうです。
今日も、まんがでわかるはずだったのに実際はがっつり文章を読んで理解する必要があったアドラー心理学からアウトプットをしていきます。
ちなみに、実際本を読んだ立場からすると「まんがでわかる」は表現としてどうかなとは思いますが、本自体は1つのテーマごとに2ページの文章で要約して分かりやすく解説してくれるとても読みやすい本でしたよ。
で、アドラー心理学は別名「劣等感の心理学」と呼ばれていて、劣等感が重要なテーマになっているそうです。
そのアドラーさんが言うには人間は誰もが劣等感を持っているそうなんですね。
私自身のことだったら劣等感、コンプレックス、引け目、負い目、自己否定、自信欠如をねるねるねるねして、自虐をつけて・・・
できた!テーレッテテー♪
というようにして作られている人間なので劣等感を持っているというのは良く理解できるのですが、他の人も同じなんですかね?
ただ、アドラー心理学ではこの劣等感はマイナスな感情ではないとされています。
というのも劣等感があるからこそ、それを取り除くために自分を成長させる動機となり改善し続けること(優越性の追求)ができるのだそうです。
それは例えば、自分が苦手なことを克服しようと一念発起したり、他の人と協力してお互いの苦手な部分を補おうとしたりといったことですね。
私自身こうしてnoteを書くようになって自分の足りないところや出来ないこと、つまり劣等感を抱く部分を明らかにするということを自然にしていることに気付きました。
そして、それを克服するための方法を調べて実践したり、しなかったりというように劣等感が成長のきっかけになっているというのは実感できます。
ただ、劣等感を肯定的に捉えられなくなってしまうと、こんどはそれを自分を責める材料や他者を攻撃する材料に使ってしまいます。
これを劣等コンプレックスというそうなのですが、劣等感がマイナスに作用してしまうと、それは自分を苦しめる要因になってしまうために注意が必要です。
劣等感を受け入れられず「ダメな人間」だと自分を責めたり、
劣等感から自分を憐れみ人生に絶望したり、
劣等感から他人の才能や成功を妬んで相手を自分のステージに引きずり降ろそうとしたり、
というように劣等感をマイナスに作用させることで、自分や他人を苦しめる結果になっています。
このことを知ってネットの炎上なんかも劣等コンプレックスが原因の1つになっているのかななんて思いました。
人は劣等感を補うために行動(補償行為)するわけですが、それがプラスに働けば自分や社会を成長させる結果になります。
しかし、マイナスに働けば他人を自分と同じ目に合わせてやろうとか、立場を利用して相手に劣等感を植え付けてやろうという自分本位の結果になってしまいます。
こういう劣等感の使い方にはならないように気をつけないとですね。
劣等感が悪いものではなく自分を成長させてくれるものだとすれば、よくある「自分は◯◯だから、△△出来ない」という言い回しは、都合の悪いことを劣等感のせいにしているだけの言い訳ということになります。
例えば、「自分はバカだからお金持ちになれない」とか「自分は美人じゃないから結婚できない」など、自分に劣等性があるからそれはできないと考えることがあります。
実際は同じような劣等感を持っている人がお金持ちになったり、結婚しているわけなので、それらは結局劣等コンプレックスから物事をマイナスに捉えているだけというわけです。
ということで大事なのは劣等感を悪いことだと考えずに、前向きに捉えるようにすることのようです。
劣等感を逆手に取ってわがままばかりになるのは問題ですが、それを成長の種だと思えれば悩まされることはなくなりそうですよね。
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