わかっちゃいるけどやめられない
ハイ!
ある一定の年齢以上の人の頭の中に自動的に曲が流れる呪いをかけました。
その頭の中に浮かんだ曲をBGMにお読みください。
わかっちゃいるけどやめられないことってありますよね。
私の場合はネガティブ思考ですかね。
noteではたびたび私のネイティブネガティブについて書いておりますが「あんた、まだそんなこと言ってんのかい!?」ってジブリの女将さん風にツッコまれそう。
でも、人が物事を習慣化するまでの期間は1〜6ヶ月くらいかかるそうですよ。
まだ、noteを書き始めてから5ヶ月ですからね。仕方ないね。
ただ、アドラー心理学では「わかっているのにやめられない」ってことはないと言われています。
はい、ここからまさかのアドラー心理学につなげます。
どういうことかというと「ネガティブ思考がいけないとわかっているのに、つい悪い方に考えてしまう」というのは、本当はやりたくない・チャレンジしたくないと考えているだけなのだそうです。
他にも、タバコをやめられない人やダイエットが継続できない人のように自分の行動を自分でコントロールできないという場合も同じですね。
私のように時間がかかるから仕方ないと環境や習慣のせいだから仕方ない。
タバコをやめられないのはイライラするからと感情のせいだから仕方ない。
ダイエット中に食べてしまうのは本能なのだから仕方ない。
そういう言い訳をしては「わかっちゃいるけどやめられない」状態から抜けられないというのは誰にでもあると思います。
勝新太郎さんとかね。
しかし、アドラーさん曰く、
『意識と無意識、理性と感情が葛藤するというのは嘘である。
「わかっちゃいるけどやめられない」とは、単に「やりたくない」だけなのだ』
と、バカボンのパパ口調で言っています。
要は意識や無意識、理性や感情のように相反するようにみえるものも、すべて自分自身の人格で一体あるという考え方(全体論)です。
そのため「やらない、挑戦しない、約束を守れなかった」という結果は、無意識や感情などすべてを使って自分自身が決めただけに過ぎないということです。
だから「つい・・・」とか「無意識で・・・」といった言い訳は出来ませんよ。という少し厳しい考え方ですね。
つまり、かっぱえびせんを食べるのがやめられないとまらないというのは、自分自身が選択した行動だということです。
「私にはできない」と考えることに対して、「それは心のブレーキが原因なので取り外しましょう」という教え方をする場合があると思います。
私もどうにかしたいと思って調べていたときに、心のブレーキの外し方とか、きかんしゃトーマスのこわれたブレーキの回とかがヒットしました。
しかし、アドラー心理学ではブレーキも自分の要素の1つとして捉えます。
むしろ、車で目的地を目指すときにブレーキは取り外さないのが当たり前で、「できるようにする」ためにはアクセルもブレーキも使うというのが全体論での考え方になるようです。
そこで、私のネガティブ思考についても「ネガティブになるのは何か建設的な目的があってのことではないか」と考えます。
ネガティブに考えることからも問題解決へのヒントを得ようとする訳ですね。
ネガティブな感情も自分ができるようになるために必要なことだと受け止めることが大切になってくるようです。
ネガティブ思考はいけないものだと考えて無理やり抑え込んで、ポジティブ思考に切り替えようと思っても上手くいかないことが多いと思います。
でも、ネガティブ思考にも必要な側面があると考えれば、自然とポジティブ思考になりますし、それも自分に必要な能力だと前向きに捉えることができそうです。
私のようにネガティブ思考に悩んでいる人には、参考になる考え方になると思います^^
しかしまぁ、これだけネガティブって単語を書いていると、書いている私も読んでいるあなたにも、、、
潜在意識にネガティブが刷り込まれそう
ですね。
コメント