競争するなら理想の自分を相手にしよう

昨日の「人間の悩みはすべて対人関係にある」というテーマで書いた記事が、思いの外ビューやスキをいただいており大変にありがたく存じます。

私の場合、noteのスキは「ためになったとき」や「共感したとき」につけることが多いです。

もし他の人もそうであれば、やはり対人関係の問題というのは共感できる話なのかなぁと勝手に感じた次第です。

アドラーさんは対人関係の軸に「競争」がある限り、人は対人関係の悩みから逃れられないと言っています。

人の悩みとは相手役に対しての感情、劣等感による「競争」の意識によって作り出されるため、勝ち負けを競っている限りは絶えないものだそうです。

そうはいっても人が社会で生きていく上で競争はついて回る問題です。

学校では子供の頃から学力の競争や、運動能力の競争など常に他人との競争にさらされます。

私は早々にそういった競争からは抜け出しましたけどね。
達観たっかんではなく諦観ていかんという方法でですが。

おかげで成績の方は、まぁ、、、ご想像どおりです。

とはいえ、競争を諦めたからといって他人と比較して悔しいとか羨ましいといった気持ちが消えないのが、我ながら人間らしいなと感じます。

やはり心のどこかで勝ち負けにこだわってしまい、自分の力はこんなもんじゃないと思う気持ちがあるものなのでしょうか。

むしろ諦めたというのが自分への言い訳だったようで、かえって他人との比較によって苦しんでいたように思います。

私の周りには常に酸っぱいぶどうがいっぱいでした。

アドラー心理学では、そうした競争で勝ちにこだわることこそが自分を苦しめている要因だとしています。

では、競争は良くないことなのかというと、そういうことではないそうです。

自分が出来ないから出来るようになりたい、向上したいという欲求は「優越性の追求」といい、人間の普遍的な欲求とのことです。

劣等感のことを記事にも書きましたが、

『優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である』


つまり、優越性の追求も劣等感も本来はプラスに働く人間に必要な機能だということです。

だからこそ、やってはいけないのは他人と比較することです。
敵でもない他人に敵対的に接してしまったり、見境のない争いに突入してしまったりと自分を苦しめる結果になってしまいます。

では、何と比較して優越性を追求すればよいのか?

それは「理想の自分」と比較して追求すべきものだとしています。

自分に足りないところがあったとしても、それは他人と比較してのことではなく、こうありたいという自分と比較するべきだということです。

このように考えられれば、周りの人と自分を比べることもなくなり、人間関係における悩みが1つ解消されそうですね。

今日たまたま会社でも「理想の自分」についての話が出てきました。

私が仕事でもnoteでも今一つ方向性が見定まらないのは、「理想の自分」がはっきりと思い描けていないからじゃないか。という話です。

なるほど、たしかにその通りかもしれないと思いました。

かといって、いま時点で明確に「理想の自分」というものを持てといわれても急すぎて、ちょっと困ってしまいます。

近々ゴールデンウィークにも入りますし、休みながら自分と対話して「理想の自分」というものを考えてみたいと思います。

今の時点では目をつぶると、おぼろげながら以下のようなイメージが浮かんできますね、、、

画像
参考:アフォがアファメーションに出会った話







・・・冗談ですよ?

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