職人シリーズ第3弾
今週もまた日曜日に妻と一緒に県内小旅行に行ってまいりました。
私は今でこそこうして色々な場所に出かけたり、体験アクティビティを楽しんだりしていますが、元々は出不精なデブで休日はずっと家にいても苦にならないタイプです。
一方、妻は基本的には外出派で、一週間働いたら気晴らしに土日のどちらかは必ず外に出かけたいといいます。
そのため、「行き先を考えてもらえるんだったら、、、まぁ」というのが我々夫婦のお出かけパターンになっています。
そんなわけで、ここ最近の「新潟のインド」とか「新潟の金属加工」とか「新潟の王国」は妻がプランニングしてくれた小旅行でした。
そして今回もお出かけの計画を一切丸投げして、土曜日を迎えました。
日曜日にどこに行くかまだ聞いていなかったので妻に確認したところ、今回はミステリーツアーということで目的地はヒ・ミ・ツ♪だそうです。
「ははぁ、これはとうとう私の丸投げに腹がたって、雪深い山中かゴミの埋め立て地に私を捨てるつもりかな?」
と思いましたが、少し前に申し込んだ新潟の酒蔵をめぐるタクシーミステリーツアーをコロナ感染者拡大の影響を受けて自主的にキャンセルしたので、代わりのミステリーツアーを企画してくれたとのことです。
・・・。
ね、良い奥さんでしょ?
まったく、雪山に夫を捨てるとか何を言っているんですか。
ウチの妻がそんなことするわけがないでしょ。たぶん。
ということで、目的地を知らされないまま車を走らせます。
出発時は降っていた雨もあがり、曇りではありますが快適なドライブです。
そして、着いたのは南魚沼市塩沢町です。
南魚沼といえばコシヒカリで有名ですが、塩沢はそこに2005年に編入合併された地域です。
ここは周囲を2,000m級の山々に囲まれ県内でも降雪量が多い地域なので、再び雪深い山中に捨てる説が浮上してきました。
もっとも、ここは塩沢の町中なので山とは数キロ離れています。
油断はできませんが、ひとまず大丈夫でしょう。
そして、町中の駐車場に車を停めて、歩いて向かったのは、、、
塩沢つむぎ記念館
です。
妻は服飾系の専門学校に通っていたこともあり、布や着物といったものが好きで、塩沢紬の機織りを体験できるのが楽しみで、こちらを選んだそうです。
塩沢紬とは新潟県南魚沼市周辺で織られている絹織物のことです。
光沢の少ない玉糸と真綿手紡糸を使用した、落ち着いた色合いと風合いが特徴となっている。
引用:Wikipedia 塩沢紬
だそうです。
こちらの記念館のキャッチコピーが「今、伝統工程と本物体験が感動!」ということなので、さっそく本物体験をしてみましょう。
2階には織工房があり、そこでは織物作業の見学や実際の機織り機を使った体験ができます。
まずは、ユネスコ無形文化遺産にも登録された国の重要無形文化財である「越後上布」についてや、そこから生まれた塩沢紬についてのお話をしていだきました。
見本として飾ってある「越後上布」や「塩沢紬」に触ってOKということでしたが、お値段が反物の状態で「1,600,000円」、「443,000円」。
「越後上布」にいたっては着物の状態では「9,500,000円」と、なんでも鑑定団でもなかなかお目にかからない金額でした。
普通の感覚なら高いと思いますが、このあとの製造工程を聞いていると、そのくらいしても仕方ないと思うほどの大変な作業でした。
新潟の素晴らしい伝統技術や工芸品も残してくださっている職人さんに報いるためにも、いつかは値段を気にすることなく、
「うん、その越後上布のお着物を1ついただこうかな?」
と、髭男爵のコスチュームで言ってみたいものですね。
ルネッサーンス。
「ありがとうございます!こちらは9,500,000円になります。」
「じゃあ、50年ローンで」
「住宅ローンより長いやないかーい!ワハハハハ」
「じゃあ、ここで皿洗いします!」
「バイトやないかーい!ワハハハハ」
「実は母が・・・」
「おっと事情が変わった」
「その「こしうしろうえぬの」の着物を一度着てみたいって」
「読み方も知らんのやないかーい!ワハハハハ」
「なんだよ!こんなに高いんじゃ庶民には買えないじゃないか!」
「そ、それはすまないとは思っているが、一体いくらなら買えるんだい?」
「300円」
「それはお前がビジネスで稼いだ金額やないかーい!もうちょい頑張れやーい!ワハハハハ」
「ま、私が本気を出せば越後上布の1つや2つ軽いもんですよ。」
「ワハハハハハハハハハハ・・・ボンジュール!」
と、冗談はこれくらいにして、お待ちかねの機織り体験です。
いくつか作れるものがありますが、今回は「ランチョンマット」をチョイス。
あらかじめ、決められた色調の経糸がセットされた織物器械である高機から好みの色調のものを選びます。
高機が決まったら、今度は緯糸を20種類ほどある糸の中から5色分を選びます。
高機に腰掛けて作業方法の説明を受けます。
器械にはすでに経糸が設置してあり、互い違いに上と下に分かれています。
足元のペダルを踏むと上糸と下糸が入れ替わる仕組みです。
上下の糸の間に手投杼という道具を使って緯糸を通して、反対側まで糸が通ったところでペダルを踏みます。
その後、緯糸を手前に打ち込んで強く編み込んだら、同じように上糸と下糸の隙間に手投杼を投げ通して反対側にいったらペダルを踏み緯糸を手前に打ち込んで強く編み込む・・・を繰り返し行います。
たぶん文章では1mmも伝わってないと思いますので、動画をご覧ください。
最初はおぼつかなかった一連の動作も、慣れてくるとだんだんスムーズに行えるようになってきます。
スタッフのお姉さんも始めはそばで見ていましたが、こちらが順調そうだとわかると部屋の反対側でご自分の作業をされたりしていました。
しかし、だいぶ慣れてはきたのですが、この手投杼を投げる動作の力加減が難しく、時折キャッチに失敗して下に落としてしまいます。
高機は結構キツキツで座っているため、体を曲げてそれを拾うということが難しく、その都度スタッフのお姉さんが駆け寄ってきてくれて、わざわざ拾ってくださいます。
自分で糸を手繰って拾えばいいじゃないかと思うかもしれませんが、床に落ちたトイレットペーパーを端の方を持って拾えますか!?(謎の逆ギレ)
糸がスルスル出ていくのでそういうわけにはいかんのです。
わざとではないんですが、機織りをしている最中に私も妻も結構な回数落としてしまいました。
その都度、部屋の反対側から駆け寄ってきて拾ってくださるお姉さんに申し訳なく思いつつ、妻が落としたのを拾って戻ろうとした矢先に私が落としてしまうという夫婦のコンボ技を出してしまう始末。
本当にわざとではないんですが、夫婦揃って何度も落としては娘さんに拾わせているのを見ていたら、
嫁をいびる舅と姑みてぇだな
って思いました。
それでもなんとか作業は進み、徐々にできあがってきました。
そして、出来上がった完成品がこちら!
信号機の色をモチーフにした世界に1つだけのランチョンマットです。
機織り体験も楽しかったですし、出来上がった品物にも大満足です。
問題は普段の生活でランチョンマットを使う機会がないことですが。
まぁ、ランチョンマットが似合う素敵なランチでも作ればよいだけのことですよね。
素敵な体験をさせてもらった、塩沢つむぎ記念館さんにお礼を言ってあとにします。
時刻はちょうど12時。
あらかじめこの近くの食事処をリサーチ済みということで、そちらへ向かいます。
こちらはGoogleマップの口コミでも料理の旨さが評判になっている良店で、何を頼んでも美味しいとのこと。
定食も捨てがたかったのですが、この南魚沼では地域の飲食店が全面協力して『本気丼』というメニューの提供をしています。
南魚沼産のコシヒカリを使った丼ご飯です。
呼び名は同じでも各店によってメニューは異なり、肉を売りにしたり、海鮮を売りにしたり、天ぷらを売りにしたりと特色は様々です。
そんななかでここ「割烹 にし川」さんでは、
「ゴロッと牛すじシチュー丼」
というメニューを提供しています。
割烹でシチュー丼?、、、そんなもん、お前、、、
頼むだろ
絶対うまいやつやん。って宮川大輔なら食べる前から言うね。
2人で同じメニューを頼んでしばし待ちます。
その間せっかくなので、出来たばかりのランチョンマットを机の上に敷いてみました。
織物独自の細かな凹凸があるため、上にモノを置いても滑りにくいし手触りも申し分ありません。
さっそく役に立ちましたね。
ただ、飲食店に自前のランチョンマットを持ち込む意識高い系と思われてもなんですので、店員さんが食事を持ってくる前に片付けます。
そして!来ました「ゴロッと牛すじシチュー丼」
私に写真の腕がないのが残念ですが、ひと目で美味しいと分かる料理が運ばれてきましたよ。
肝心のお味の方は・・・
ンマーイ!
あ、私のンマーイは満賀道雄の方です。
牛すじはもうトロけるかのように牛肉の旨味だけ残して舌の上で消え、生クリームのかかったデミグラスベースのシチューはコクがあって濃厚のため、南魚沼のコシヒカリに良く合います。
もちろん付け合せのパンともピッタリの相性で赤ワインでも欲しくなるところです。
食べれば食べるほどにアゴが大きくなってきた気がします。
うむ、うまいゾ!
十二分に満足したところで、最後は「鈴木牧之記念館」に寄ります。
「鈴木牧之」というのはこの塩沢で生まれた江戸時代の人物で、越後の雪深い生活を伝えるために、40年の歳月を書けて「北越雪譜」という本を出版された人です。
当時の江戸では雪は「雪見酒」や歌に詠むように愛でるものだったそうで、商売で江戸に訪れた若い頃の鈴木は、雪崩や吹雪などで命を落とすこともある雪の怖さ、雪国の真実を伝えようと思ったそうです。
紆余曲折あって出版には40年もかかってしまいましたが、出版されると江戸では大人気となり、いまでいうベストセラー本になったそうです。
当時は紙が高かったため庶民が自分で本を買うことはほとんどなく、貸本で読むことが多かったそうですが、「北越雪譜」が置いていない貸本屋は儲からないといわれるほどの人気ぶりだったそうです。
館内では写真撮影が禁止されていましたので、ここにあげる写真はありませんが、鈴木牧之の生涯や「北越雪譜」の解説について映像や展示資料を余すことなく堪能してきました。
帰り際、受付のお母さんに
「こんなにじっくり見てくださってありがとうございます。」
と人生で聞いたことのないお礼を言われました。
いえいえこちらこそ楽しかったですとお礼を伝え、外に出たところ、、、
先ほどまで降っていなかったのに、にわかに大雪になっていました。
あぁ、ちょうど雪国の厳しさについて色々見てましたからね。
天の配剤ってやつですかね?
行きはこんなだったのに、、、
帰りはこんなです。
やはり、昔から雪深い土地なんですね。
地元の人は色々苦労されることも多いとは思いますが、楽しい小旅行でした。
妻には改めてお礼を言いたいと思います。ありがとう!
帰りの車内で聞いていた曲と状況がちょっとだけシンクロしてた。
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